経済史

第1部

なぜ経済だけが成長という言葉で語られるのか。社会や法には成長という言葉はそぐわない。

経済は量的な拡大と共に現れた。なぜ量的な拡大という認識論的な枠組みで考えられたのか。それは、人間の際限のない欲望が原因である。と仮定しよう。

 

際限のない欲望は食料など様々なところで見られるが、とりわけ貨幣への欲望は尽きない。過剰充足の苦痛がないのだ。

 

では人はどのように欲望を充足するか。個人レベルの領有を超え、社会的な動物である人間はその欲望を社会的にじつげんしようとする。その場合、方や政治などが不可欠な要素として関わってくる。そして、効率的な欲望充足は分業によって達成される。

 

経済は欲望充足の全過程であると定義しよう。モノを媒介にした人間関係である。(モノの定義は問題として残る。何がモノなのか?)

 

効率的な分業は単一の意志によって統御される。ではその意志は誰が担うのか。こうたいせいでも問題はないが、jだれかに固定しておく。すなわち、指揮命令系統を設定する方が方向性が定まり、効率的である。

 

では、この指揮命令系統は何によって担保されるか。それは伝統的には権力と権威である。

権力は上から下への祟る力への畏怖。権威は下から上への信頼である。

 

効率性を求めた分業は従属関係を生み出すため、自由だけではなく、不自由も生み出す。

そこで、生産力の無限の増加で不自由以上に自由を生み出すことが素朴にできると考えられていたのが、近代。その弊害、不自由が前面に出てきたのが現代であるとかんがえる。

 

第2部 前近代 欲望を統御する社会

前近代は、人の際限のない欲望を満たし切れる生産力がなかった。

そのため、人の生存条件であった共同体の維持のため、個人の欲望は制限されていた。

その欲望の制限の形は身分制という言葉に集約できる。身分制により、人の際限のない欲望を満たし、共同性と共同性の効率性とを実現し、保持することができた。

身分制を可能にした規範は伝統である。これは現代の伝統主義とは反対の保守主義である。

今日と明日は異なるものではなく、同一のものでなければ、共同体の姿は変容してしまう。それゆえ、暦などで、一年を通して何をすればいいのかは決定されていた。それが伝統である。一方、伝統主義は過去の伝統に価値を置き、その非連続的な再現を望む思想であり、保守主義の伝統とは正反対のものである。

 

富の規範は大きく2つ。第一に富を増加させないこと。富の増加は投資につながり、今日とは違う明日、今年と違う来年を生み出し、共同体の維持を揺るがす。

第二に、富が蓄積したならば、それを非生産的な芸術や思想に当てること。また、ポトラッチなど、富を破壊することである。

 

共同体とそれに合致する生産様式が至限するというのがマルクスの社会構成対論である。

詳細は割愛。農耕→多産と土地分割→土地分割の困難→多産の抑制、家督相続→余剰労働力の登場。彼らが共同体から自由な個人として欲望を解放され、保護からはみ出ると共に、市場での取引を通じていきることになった。

 

人口増加は経済成長につながる。ただし、職と食が増加した人口を養えるという条件付きで。

すなわち職と食の供給能力を超える人口の増加は社会の滅亡をもたらすことになる。従って、前近代では人口抑制を目的とする制度が上手くいった。家族の中での人減らしや初婚年齢を遅らせること、相続制度の制限などに見られる。

 

前近代社会を体系的にまとめるなら、共同体、規範、身分制によって社会の存続、共同体の維持、個人の欲望の統御と保護を可能にした。蓄積してしまった富については非生産的な使用がなされ、高い身分の者の権威が強固となっていった。

 

以上が、前近代と近代の異なる側面である。以下、共通する側面について見ていこう。それは商品経済や貨幣経済という存在であり、市場と同じく、古くから存在する。ただし、そのことは現代の市場経済とは同義ではないことには注意。物や貨幣の交換で欲望が満たされた部分があったということだ。

 

前近代の市場は三つに類型化される。局所的公開市場、すなわち、市場周辺で生活する人が集まり、取引を行う形態であり、継続的なコミュニティ内での取引となるため、そこには詐欺的な取引や利潤の可能性は少なく、お互い様の一般的互酬性に基づく取引がなされる。

 

一方、広域的遠隔市場は一回限りの取引であり、詐欺的な取引、利潤の可能性のあるギャンブル的な市である。

 

第三が私的取引であり、効率的な生産を可能にした者が密かに局所的公開市場で行うものである。私的取引は効率的な生産による安価な商品提供が既存の生産者を駆逐する。故に、この私的取引こそが、資本主義につながる道となったという説を本書は取る。

 

第三部 近世

近世とは前近代から近代へと移行するための長い過程である。

前近代から近世への大きな変化は①人間関係を構成する原理が身分制と共同体から自由な個人の契約による共同性のあり方が決定される市民社会への変化である。

②個人の財やサービスへの欲望充足から、いったんは多くの貨幣を獲得する欲望充足へと変化が生じることで、分業編成原理が貨幣を媒介にするようになった前市場社会から市場社会への変化。

 

③生産様式の変化。封建制から資本制への変化である。剰余を支配者の権威を高める消費に使用する必要が身分制の緩みにより不要となり、剰余を生産的に使用し、生産的な成長を実現する資本主義へと転換した。

都市が商工業を独占し、農村と都市に明確な分業体制を強いた封建制にとって、農村商工業は封建制の秩序の外に発生したものである。封建制では封建領主が直接的生産者である農民からの剰余収奪が可能であったが、それが完遂せず、農民に富が蓄積し始めた。

 

絶対王政とは封建制の危機に対する権力集中である。その矛先は大きく二つ。内側では産業規制であり、農村商工業をいかに規制するか、そして統一的な行政・徴税機能を強化するという方向性。(しかし、御しきれず、しばしば農村商工業と奇妙な癒着を起こし、初期の独占型資本を生み出す)外側では貿易の進展により、対外の絶対王政国家への対応として、否が応でも絶対王政が求められるようになった。

 

資本主義社会では富の収奪は徴税と投機市場の崩壊を別にしてありません。

 

資本の一部=賃金と労働力が市場によって等価交換され、そこで生み出された富が再び市場で等価交換されながらも、最初と最後の貨幣額との間に利潤が生じるというのが資本の論理であり、資本の蓄積と労働力、そしてそれが好感される市場経済が存在して初めて資本主義が確立するのである。富の蓄積と賃労働が存在しなかった前近代では資本主義は成立しえないのである。

 

フランスの人口学者トッドの私的。

晩婚や非婚は人口減少の要因?

 

全体主義を経験した国では出生率が低い、一方個人の自由が尊重されてきた社会では産むか産まないかの判断が個人にゆだねられ、社会的に受胎調節がなされる。個人の自由に抑圧的な家族制度の強かった社会ではそういった判断が制約を受け、人々は出産に帰結する行為をためらう。

例えば日本では18歳までは清く正しく、それ以降はできるだけ早く子供を産むことが推奨される。

 

人口の増加だけでは水平的な富の増加のみで、大きな経済成長は望めない。大きな富の増加には一人当たりが生産、消費する富の総量が増えることが必要である(当たり前だが)

 

第四部 近代

近世から近代への移行は一般的には産業革命といわれている。

産業革命は断絶的なものではなく、連続的なものであった。

 

産業革命以前は食糧生産、および、熱源という点でも所与の自然の許す範囲内でしか可能ではなかった。したがって、自然的制約を超えないように余剰の使用を身分制や共同体などでしばった。産業革命は自然的制約を突破した。結果、経済は社会や掟や規範から解放されることになった。ここに社会や制度から自立した市場経済が離床(ポランニー)する。

 

信用売買の本質は商品引き渡し自店で現金紙幣を使用する必要がない。信用手形は誰がか受け取ってくれる限り、現金貨幣と同じ役割を果たす。しかし、誰も受け取ってくれない終点に達すると、ババ抜きのババと同じものに変容する。これまでのところ、短気的な変動や停滞を除くのであれば、資本主義は長期的に経済成長したが、その背後では手形が使用されており、ババを引くひとがいてくれた。

 

救貧政策は資本主義経済の存続に必要不可欠である。なぜなら労働者の完成には20年近くの時間がかかる。一方で、経済の停滞はそれより短い周期で発生する。それゆえに、失業を放置して、労働者が失われるならば、労働者は減少してしまう。

救貧政策により、失業者を保護することは食品の冷凍保存と同じである。次に労働力が不足した時にまた解凍するのだ。

 

食糧輸入とは自国内の自然の有限性の諸問題を席送りし、他国の自然を利用する行為である。リカードはこのような先送りの行く先を定常状態とした。定常状態とは各経済主体にとって新たな努力の余地がなくなり、経済が物質的に成長せず、人口増加も技術革新も資本の蓄積も発生しない状態で、経済発展が全地球レベルに拡散すればこの定常状態に達すると考えた。

 

現在も自然の有限性は乗り越えられていない。しかしながら、世界全体の発展のなかで自然と経済の間に発生する問題は忘れ去られている。自然は無限だと。

 

家父長制は近代に入り危機を迎えたが、再編された。その大部分あが国家の立法によってなされたものである。ゆえに、資本制と家父長制と国家の三元論で資本主義は把握するべき。

 

19世紀の後半は欧米諸国の四方八方に暴力を伴いながら拡大し、世界が一つの世界にまとめ上げられる動きを示した時期である。

 

 

第五部 現代 欲望の人為的維持

19世紀は古典的自由主義の時代。一言でいえば、強くたくましい個人が前提とされていたが、それは嘘であった。20世紀は弱く劣った個人を前提とした介入的自由主義の時代に突入する。

 

人は自らの欲望など知らない。幸福は誘導されるようになった。しかしその幸福すら自立不能であることがわかった。それへの対処は権利としての社会保障として現れた。

 

19世紀は多角的決済機構と国際金本位制により安定的に成長したが、その崩壊もまたその安定から生まれた、国際分業が深化することが、その揺らぎを生む。

 

国際分業が密接になると、リカードに従えば、どの国も比較優位産業に特化することを意味する。それは、国内に比較劣位業種が生じ、それが捨てられることを意味する。つまり、すべての業種、もとい全ての地域が反映することは論理的にありえず、なにかが発展することは、なにかが苦難に陥ることになる。

 

なぜ周りはこんなに繁栄しているのに、自分の業種と地域は辛酸をなめることになるのだろうかという感情は、有権者が増え、民主化言論の自由が増進している状況では、彼らを納得させる解釈が必要になった。

 

この苦難への解釈は大きく2つ。①社会主義。民衆が経験している苦難の根本には資本主義の矛盾が存在しているのであり、資本主義社会における労働力の窮乏化を解決することなくして、苦難は解決されないとするものであった。20世紀初頭の社会主義の台頭はこうした文脈の中で影響力を拡大した。社会主義隆盛を放置することは革命による資本主義の妥当か労働者層への所得の垂直的分配を行うしかないというのが当時の支配階級の懸念であった。

 

ナショナリズム。自国の当然享受すべき利益は、外敵と、それにつながる裏切り者のせいだという解釈。

 

社会主義への対応には勢力拡大の防止と社会主義実現のための財源が必要であるが、ナショナリズムに金はかからない。大概の苦難の原因は外敵と内通者に求めることができるからだ。苦難への対処を必要にしないという点では自由貿易賛美論と同様である。

 

第一次世界大戦は人類史上最も長い戦闘の歴史=5年であり、その戦争は総力戦体制を必要とした。戦場の兵士が死んだら終わりではなく、移動手段の発展などにより、国内から借り出せば兵士はいくらでも存在する状態に変わったのだ。長期的な戦争は交易、経済のシステムを根底から変更した。各国で総力戦体制のための統制が敷かれた。

 

第一次世界大戦において、国家の戦費調達は戦時公債の発行であった。各国は債務を負ったが、それが無事に解消できれば問題はなかった。1917年、ロシアで社会主義革命が発生すると、ロシアが英米仏から借りた公債が戦費が、帝国主義戦争から離脱したロシアは帝国主義戦争のための公債を返還する必要はないという論理により焦げ付いた。英仏はアメリカへの債務返済に窮するようになる。

 

英仏は債務困難を脱するために、ドイツとその同盟国による攻撃により余儀なくされた戦争としてヴェルサイユ条約ロシア革命と戦債問題が強い影を落としたドイツの賠償責任問題を押し付けた。

 

そしてこの体制こそがそこからの脱却を唱えたナチスドイツ国民の三分の一の指示を集め、ひいては第二次世界大戦へと続く遠因となった。

 

戦後の一時的な好況ののち、大恐慌が発生。それに対して米国はニューディール政策、フランスは人民戦線政府の消費需要維持などの消費主導型政策をとった。

一方、ドイツは公共事業や軍備輸出に頼る投資主導型を目指した。

 

二つの経済政策は国内市場がどれだけ豊かかという現状認識と、人々をどれだけ豊かにするかという価値観によって規定される。

 

投資主導型は消費需要に期待しない為、公共事業と軍備、輸出に依存する為、国民の生活は豊かになることはない。

 

このような世界で植民地を持つフランスやイギリス、中南米アメリカの裏庭とした米国などの持てる国々は経済のブロック化で恐慌の打撃を抑える一方、海外領土を奪われたドイツや豊かな国内市場を持たないイタリアや日本は乱暴な形で国外市場獲得へと乗り出した。

 

現代は資本主義の次に変わる規範が見つからず、介入的自由主義を恐る恐る使っている状態だ。次世代を構想する世界はいまだ存在しないが、強い規範を求めるのではなく、小さく弱い規範の試行錯誤こそが次代の規範を生み出すのである。